Archive for 5月, 2010

ディスコグラフィー

火曜日, 5月 11th, 2010

オリジナル・アルバム
燃えよウータン – Enter the Wu-Tang (36 Chambers)(1993年)
ウータン・フォーエヴァー – Wu-Tang Forever(1997年)
The W(2000年)
アイアン・フラッグ – Iron Flag(2001年)
8ダイアグラムズ – 8 Diagrams(2007年)

コンピレーション・アルバム & ベスト・アルバム
Wu-Tang Killa Bees: The Swarm(1998年)
Wu-Chronicles(1999年)
Wu-Chronicles, Chapter 2(2001年)
Wu-Tang Killa Bees: The Sting(2002年)
燃えよウータン!36房最強の弟子達〜ウータン・クラン再結記念ライヴCD – Disciples of the 36 Chambers: Chapter 1(2004年)
ウータン・クランの歴史〜グレイテスト・ヒッツ – Legend of the Wu-Tang Clan(2004年)
Wu-Tang Meets Indie Culture(2005年)
Mathematics Presents Wu-Tang Clan & Friends Unreleased(2007年)
Wu-Tang Clan’s Greatest Hits(2007年)
Wu-Box: Cream of the Clan(2007年)
Return of the Swarm(2007年)
Return of the Swarm, Vol. 4(2007年)
Wu XM Radio(2007年)
Lost Anthology(2007年)
Return of the Swarm, Vol. 5(2008年)
Soundtracks from the Shaolin Temple(2008年)
Wu: The Story of the Wu-Tang Clan(2008年)
Killa Bees Attack(2008年)
Chamber Music (2009年)

メンバー

火曜日, 5月 11th, 2010

メンバーは血縁関係があり、それぞれソロ活動も盛んに行っている。各メンバーの詳細は、それぞれの項を参照。

Ghostface Killah(ゴーストフェイス・キラ)
詩を書くことが非常に早いことでも知られている。初のソロアルバム『アイアンマン』も好評を集め、レイクウォンのアルバム『オンリー・ビルド・フォー・キューバン・リンクス』でも、重要な役割を果たした。2枚目のアルバム『スプリーム・クライアンテル』は、「ウータンを救った」という評もなされた。その後に発表された『プリティ・トニー・アルバム』(2004年)や、『フィッシュ・スケール』(2006年)も、同等の成功を収めてきた。
GZA(ギャザ)
別名はジニアス(TheGenius)。グループの中で最高齢であり、最も長い経験を持った存在。未だヒップホップがニューヨークの局地的な現象に過ぎなかった1976年の時点で、既にラップを始めていた。グループのデビュー以前には、1991年のアルバム『ワーズ・フロム・ザ・ジーニアス』で先にソロデビューをしている。彼のラップの特徴は、くつろいだ雰囲気の言葉の流れに、複雑な隠喩の使用を行い、日本の時代劇映画、チェス、ファイブ・パーセント・ネーションの教えなどに言及することである。
inspectah deck(インスペクター・デック)
ウータン・クランの人気者の1人。グループのアルバムに加え、グループの仲間たちのソロアルバムに顔見せすることで、注目を集めるようになっていった。彼は複雑なやり方で韻を踏むことができ、またあらゆる楽曲においても、その詩の中で幾度となく言葉の流れに変化をつけることができることで知られている。ゴーストフェイス・キラやメソッド・マンといったウータン・クランのメンバーに加え、ビッグ・パンやプロディジーなどのプロデュースも行ってきた。
Masta Killa(マスタ・キラ)
ウータン・クランが結成された当時、ラップの経験がなかった唯一のメンバーである。このためグループ創成期には、GZAから助言を受けてきた。グループのデビューアルバム『燃えよウータン』では、自身が収監されていたこともあり、ほとんど参加できなかったが、「ダ・ミステリー・オブ・チェスボクシング」”Da Mystery of Chessboxin” では、素晴らしいパフォーマンスを見せている。メンバーの中で最後にソロデビューをしている。
Method Man(メソッド・マン)
グループ最年少の一員であり、アルバム『ティカル』で、グループ結成後で最初にソロデビューを果たした。グループの中では最高の成功を収めており、メアリー・J・ブライジとの『アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー/ユア・オール・アイ・ニード』でプラチナ・ディスクとなり、グラミー賞を獲得した。また数多くの映画やテレビにも出演しており、中でも、1999年にアルバム『ブラック・アウト』を共同で発表したレッドマンとの共演作である、コメディ映画『ハウ・ハイ/ビー・バッド・ボーイズ』と、シチュエーション喜劇の『メソッド&レッド』の2作品が有名である。
Ol’ Dirty Bastard(オール・ダーティ・バスタード )
グループの中でも特に個性的で、突飛な存在とされた。彼の狂気じみた行動は、メディアの注目を集めるだけでなく、警察からも目をつけられた。メソッド・マンと並んで、商業的な成功を伴う人気を集めた存在であり、マライア・キャリーといった大物との共演も果たした。2004年11月13日に、ウータン・クランのレコーディング・スタジオで倒れ、数時間後に死去。その後の検死によれば、死因は麻薬の過剰摂取であったという。
Raekwon(レイクウォン)
「詩的な味付け」という意味合いで、「シェフ」というニックネームを付けられている。これには、コカインをクラックに「調理する」ことに秀でていることにも由来している。ラップにおいては、ニューヨークの俗語を多用し、情熱的かつ、早い調子で言葉を発していくことが多い。
RZA(リッザ)
グループにおける事実上のリーダー。彼は『燃えよウータン』ですべての曲をプロデュースし、その後のアルバムでも多くの楽曲を手掛けてきた。また、メンバーのソロ活動においても、初期の作品の多くを手がけてきた。ジム・ジャームッシュ監督映画『ゴースト・ドッグ:ザ・ウェイ・オブ・ザ・サムライ』が成功を収めたことをきっかけに、クエンティン・タランティーノ監督映画『キル・ビル』など、いくつかのハリウッド映画で音楽を手がけた。最近では、アニメシリーズ『アフロサムライ』の音楽を担当した。
U-God(U-ゴッド)
ウータン・クランの中では、それほど人気が高くない存在。『燃えよウータン』製作時に収監されていたことで、ほとんど参加できなかったことが理由のひとつにあげられる。ソロ活動も大きなヒットには恵まれなかった。このことで一時期RZAと揉めて、ビーフ(中傷合戦)に至ったが、現在は和解に至っている。
Cappadonna(カパドンナ)
現段階で最後に加入したメンバー。2枚目のアルバム『ウータン・フォーエヴァー』から正式メンバーとなる。ソロ・アルバムとして、『THE PILLAGE』(1998年)、『THE YIN AND YANG』(2001年)を発表している。